もみじのひと言

在宅医療ってとても奥が深い!院長として長い間在宅医療に関わるなかで、日々感じることを書いています。

自己紹介6

医師となって4~5年目に、大阪城近くのoo医療センターで呼吸器外科に所属。

肺癌を中心に多くの呼吸器疾患の患者さんと向き合いました。

 

その後に配属されたのは、豊中市にある刀根山病院でした。

今回は私が医師になって6~7年目にお世話になった、

刀根山病院について書いてみたいと思います。

 

 

刀根山病院は、当時 国立療養所刀根山病院と呼ばれていました。

(現在は独立行政法人国立病院機構刀根山病院と、長い名前!!)

 

設立は大正時代。

結核の治療では国内最古といってもよい病院だと思います。

 

北摂では、

肺の病気 = 刀根山病院 と思っておられる方も多く、

結核の治療や、神経難病の分野では、現在もとても有名な病院です。

 

 

私は、呼吸器外科医として刀根山病院で勤務することになりました。

そのときの呼吸器外科部長は ”かんちゃん先生”でした。

前回のフミヤ部長先生とは違い、とても穏やかで ジェントルマン。

かんちゃん先生には、困った時に相談したり、

遠くからそっと見守ってもらうような感じで毎日が過ぎていきました。

今でも大変感謝しています。

 

 

話を刀根山病院に戻すと・・・

この病院の特徴は、第1に結核の診療です。

 

結核は過去の病気と思われることが多く、

ほとんどの医師は、現在結核という病気に接することがありません。

 

空気感染する伝染病でもあり、

市民病院などに結核の患者さんが来院すれば、とても大騒ぎになります。

 

このため、多くの医師を含む医療関係者は、

結核と聞けば必要以上に恐れ、近づかないのです。

私も恥ずかしながら、刀根山病院に行くまでは、そうでした。

 

 

しかし、刀根山病院は別でした。

恐れること無く、結核患者さんにべったりと寄り添っていく。

普通に、医師も看護師も、その他の職種の方も。

 

とても結核に慣れているのです。

 

毎日のように、大阪中の病院から結核患者さんが転院してこられ、

特に驚くことも無く、すべてを受け入れ淡々と結核の診断、治療を行っていきます。

 

結核については何一つ知識の無かった私は、刀根山病院で多くを学びました。

結核の症状、診断方法、治療方法、治癒が難しくなっ場合の対応など・・・

教科書には書いていない、生の治療がそこにはありました。

 

昔から人類が悩まされ、現在も私たちを苦しめている病気。

治療の歴史には、

もがき続けた人々がはまり込んだ闇とも思える治療法もあり、

呼吸器の専門を目指す医師は必ず知っておかなければいけない疾患であると思います。

 

 

刀根山病院の第2の特徴は、

肺癌はもちろん、多くの呼吸器疾患を診療している点です。

 

大阪には歴史ある呼吸器疾患専門病院がいくつかあり、

刀根山病院、近畿中央病院、羽曳野病院などが御三家として挙げられます。

いずれも、旧結核療養所として呼吸器疾患を診療していたこともあり、

結核を含めあらゆる呼吸器疾患がこの病院群に集まってきます。

 

刀根山病院もそうでした。

びまん性肺疾患、COPD気管支喘息、呼吸器感染症、非結核性抗酸菌症、慢性呼吸不全など。

圧倒的多数の呼吸器専門ドクターが在籍し、

一般の病院では年に数回しか診ることが無い疾患に毎日接している。

昔も今も刀根山病院は、呼吸器のプロフェッショナル集団だと思います。

 

 

現在、私はもみじ在宅診療所で在宅医療、外来診療を行っています。

 

特に外来では、

発熱や痰が多くなった

咳が長く続いている

肺癌が心配

息切れがひどくなった

などの患者さんが多く来院されます。

 

呼吸器疾患の患者さんに出会えた日には、刀根山病院の事を思い出し、

少し懐かしさを感じることがあります。

刀根山病院での経験は、私にとっての大きな財産だと思っています。